庄川木地の歴史

夢に応え続けて百有余年

 

庄川町にとって、“川”は町の母であり、“木”は町の父です。庄川挽物木地という“木”の歩みも、“川”の流れを抜きには語れません。
庄川町は、かつて木材の一大集積地でした。清流・庄川の流れにのって運ばれてきた原木を利用して庄川挽物木地の生産が始まったのは、江戸末期のこと。庄川町の木地師たちにとって、良質で豊富な原木は、まさに天の恵みでした。明治時代に入り、多くの人たちの夢のひとつは、「報恩講のためのお椀を揃えること」で、その夢は100年近く続いたといいます。多くの人たちの夢に応えるために、木地師たちは腕を磨き続けました。

 

 

木地師は、一人前になるまでに10年という月日を費やします。そのため、かつては小学校を卒業すると、すぐに修行に入りました。師について技を習得していきますが、その教え方は現代からは想像もつかないほど厳しかったそうです。
戦後には、電気の統制時代がありましたが、庄川挽物木地を作るためにロクロを回さなければなりません。そこで、木地師たちは自前で発動機を用意し、水車などの動力を利用してロクロを回し続けました。また、自動車も発達していなかったため、春から秋は荷車、冬はソリを使って重い原木を運んだといいます。
庄川挽物木地の技を伝えてきたのは、木の魅力に心奪われた木地師たちです。江戸末期から幾つもの時代の山や谷を越え、脈々と伝統の技を受け継いできた木地師たちによって、現在の庄川挽物木地があります。
庄川には、町と技を発展させてきた“川”があります。そして、いつの時代も“木”を愛してやまない人たちがいます。

 

 

 

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