呉羽の昔ばなし

おろち退治

昔、呉羽山の西のふもとの吉作におろちが棲んでいました。

おろち退治挿絵1

ある日のこと、一人のお百姓が子供といっしょに田を耕していました。疲れたので手を休め腰をのばしました。
すると、どうでしょう。
目の前におろちがいるではありませんか。
眼はランランと光り、口から炎をふき、鱗は古びた松かさよりも堅そうです。胴回りは四尺(約1.2メートル)、長さは四間半(約8メートル)もあり、まるで大木を横にしたような感じです。

お百姓は、びっくり、気を失ってたおれてしまいました。
「だれか 助けてえ!」
子供は、村のほうへ夢中で走ります。
「おろちが出たぞー、ドンドン ドンドンドンドン ドンドンドンドン
 おろちが出たぞー、 ドドドド ドン ドドドド ドン」

村のあちこちで太鼓がなり続けます。村の人たちが、手に手に鍬や斧を持って走ってきます。
しかし、どうすることもできません。
そのうちに、おろちは、ゆうゆうと棲み家の池の方へ行ってしまいました。
人びとは、急いでお百姓に駆け寄りましたが、すでに息が絶えていました。

こんなことが何度も起こり、田畑も荒らされました。村の人たちは、毎日、びくびくして暮らしていました。富山城主の佐々成政公に、お願いをしました。しかし、お侍たちも、毒気が強くて、なかなか退治できません。

信心深い人が、村の人たちに相談をしました。
「こんなにも、おろちに苦しめられるのは、何かの因果でしょう。みなさん、矢野の越叟寺の越山本宗禅師にお頼みしましょう。そして、仏さまの力にすがりましょう」

東海道方面に布教に出ておられた禅師は、すぐに帰って来てくださり、旅姿のまま、蛇池のそばで経文を読みつづけられました。無念無想の境に入られました。

晴れわたっていた空が、にわかに曇る
ピカッ、ゴロゴローッ、ザアーッ
禅師は、「エイッ!」と一喝
シーン、あたりは静か
おろちが、水面に浮き上がる
「エイッ!」ともう一喝
おろちは、火をふきながらたおれる

おろち退治挿絵2

村の人たちは、おもわず拍手、大喜びです。知らず知らずのうちに、どの人もひざまづき、禅師を拝んでいるのでした。

おろちが退治されてからは、田畑が荒らされることもなくなり、村の人たちは安心して働きました。毎年、豊作で、村も栄えました。しばらくして、池のそばに立派なお寺を建てました。そして、禅師を越叟寺からお迎えし、お寺の名も吉祥寺と改めました。また、おろちの上顎骨は蛇骨堂に祀り、そのほかは本堂の後ろに埋めて土塚を造りました。日照りの時には、塚の前で雨乞いをすると、雨が降るといわれています。

おはなしの舞台

越叟寺があった矢野は、現在の富山市立呉羽中学校の西方にあったと伝えられる

呉羽の昔ばなし商品画像

『呉羽の昔ばなし』好評発売中!

ホームページに掲載中の昔ばなしを含む、呉羽に伝わる伝説や歴史上のことがらを、12篇のお話にまとめました。呉羽のぬくもりが一冊にまとまっています。(500円)

呉羽の情報

  • 呉羽の見どころ
  • 特産品・呉羽梨
  • 呉羽の昔ばなし

ページの先頭へ

Copyright © 富山市北商工会呉羽支所 All rights reserved.