 |
@観音寺 小矢部市観音町1−9
真言宗。山号は本覚山。本尊は大日如来。白鳳7年(678)法道上人の開基と伝承される。のちに、空海(弘法大師)が滞在し、自刻の聖観音像を安置したという。天正17年(1589)前田利秀の今石動移城に伴い、天正17年(1589)現在地に移り永代祈願所となり観音寺の寺号を与えられた。境内には、観音堂、金毘羅堂、三重塔、高さ2メートルの延命地蔵等がある |
 |
A本行寺 小矢部市八和町6−4
日蓮宗。山号は津幡山。天文5年(1536)能登国七尾(現石川県)で創建。前田秀継が津幡(現石川県)に在城したときに、本行寺も移転。さらに木舟城に移った際にも従ったが天正大地震により本堂は崩壊。秀継の息子、利秀は木舟での復興を断念し城を今石動に移し、本行寺も移転した。後に、利秀の菩提寺となる。寺宝に前田利秀公画像がある。境内には、前田利秀公立像があり、墓地に通じる階段を登ると前田利秀公頌徳碑、五輪石塔の墓(市指定文化財)がある。 |
 |
B愛宕神社 小矢部市城山町3−20
創建は古く、京都の愛宕神社の分霊を歓請したという。天正11年(1583)、富山城主佐々成政討伐の際、豊臣秀吉、前田利長(加賀藩主2代)は同社に陣し、武運を祈り、祈願したと伝えられる。又、加賀藩主前田家は同社を祈願所とし、歴代、毎年幣物をか捧げ尊宗した。108段の石段の先、鬱蒼とした杉木立の中にある現在の社殿の大部分は、文久2年(1862)に造営されたもので、特に拝殿には見事な井波彫刻が施されている。 |
 |
C永傳寺 小矢部市八和町12−5
曹洞宗。山号は真光山。本尊は木造釈迦如来像。開基は永禄元年(1558。)矢波(現小矢部市宮島)にあり高徳寺と称していた。天正大地震によって前田秀継夫妻は圧死。、秀継は曹洞宗に帰依していたので、子息利秀は、高徳寺を両親の菩提寺とした。利秀が今石動入城のおり、高徳寺も寺領の寄進をうけ、今の地に移転し、山号は前田利秀公が父、秀継の戒名 瑞光院殿密庵永傳大居士の名をとって、真光山永傳と改称した。境内には石仏や涅槃像、日本曹洞宗の開祖道元禅師を祀った開山堂と地蔵菩薩を祀った地蔵堂がある。参道には、三十三観音石仏が立ち並んでいる。 |
 |
D乗光寺 小矢部市八和町2−14
山号は横根山。真言宗大谷派。開基は宇多天皇の後胤佐々四郎高綱という。高野山に登り、真言宗に帰依して得度し、親鸞聖人越後在住の折に弟子となり、真宗に改宗して了知と称した。現在地には寛永年中(1424〜1643)に移転した。乗光寺を中心に五つの寺が集まっており、昔より御坊町といわれている。 |
 |
E道林寺 小矢部市中央町2−43
浄土真宗東本願寺派。永寿元年(1182)創建。朱色の築地と漆黒の大屋根が美しい。明治11年には、明治天皇北陸行幸のとき行在所となった記念碑が立っている。
|