画像をクリックすると拡大表示されます。
黒部峡谷鉄道の開通
大正15年10月、宇奈月~猫又間に黒部専用鉄道(現:黒部峡谷鉄道)として運転が開始された。これは猫又の黒部川第二発電所の工事資材運搬のためであった。発電所工事は一次中断されていたが、昭和8年6月に再開されて、約3年間をかけて昭和11年10月、発電が開始された。この間、軌道は昭和5年には小屋平までの延長が完工し、翌年の昭和6年7月に小屋平~小黒部間の運転が開始された。昭和11年9月、欅平の黒部川第三発電所の工事が開始される。
昭和12年7月、小黒部~欅平の運転開始によって、宇奈月~欅平間20.1kmが全線開通。昭和13年、竪坑エレベーターが完工(東洋オーチス社製、昇程194.42m)。
昭和15年、竪坑上部~仙人谷間6.4kmの上部線が完工する。このトンネル工事は、岩盤温度が摂氏165度まで達する高熱地帯があり、難工事のすえ、昭和14年に貫通した。世に言う「高熱隧道」である。→「黒三」ページへ
昭和15年11月に、黒部川第三発電所が運転を開始。続いて「黒四計画」が進められるようになった。→「黒四」ページへ
昭和12年7月、小黒部~欅平の運転開始によって、宇奈月~欅平間20.1kmが全線開通。昭和13年、竪坑エレベーターが完工(東洋オーチス社製、昇程194.42m)。
昭和15年、竪坑上部~仙人谷間6.4kmの上部線が完工する。このトンネル工事は、岩盤温度が摂氏165度まで達する高熱地帯があり、難工事のすえ、昭和14年に貫通した。世に言う「高熱隧道」である。→「黒三」ページへ
昭和15年11月に、黒部川第三発電所が運転を開始。続いて「黒四計画」が進められるようになった。→「黒四」ページへ
観光鉄道としての黒部専用鉄道
昭和16年10月、電力国家管理法により電力統制令が施行され、黒部軌道は日本発送電(株)に継承される。ダム・水路・発電所等の工事用資材の運送・作業員の輸送とあわせて、「黒部専用鉄道便乗者証」(木札)が発行され、裏には「便乗ノ安全ニ付テハ一切保証致シマセン(日発)」、後に(関電)印が押されたものを持って乗車した。これが黒部峡谷鉄道観光の始まりであった。
昭和26年5月、電力再編令により日本発送電(株)から関西電力(株)に継承され昭和28年11月、地方鉄道法による営業の免許を受ける。昭和46年7月1日、関西電力(株)から分離独立し、黒部峡谷鉄道(株)として発足し、現在に至っている。
昭和26年5月、電力再編令により日本発送電(株)から関西電力(株)に継承され昭和28年11月、地方鉄道法による営業の免許を受ける。昭和46年7月1日、関西電力(株)から分離独立し、黒部峡谷鉄道(株)として発足し、現在に至っている。
「ローレル賞」受賞
黒部のトロッコが受賞した「ローレル賞」は鉄道友の会会員の投票で決めるもので、車両の性能、デザイン、製作企画、運用面に秀でたものに贈られる賞。昭和49年度にデビューした車両のうちより、EH10型電気機関車が、困難な地形の中、我が国唯一の本格的登山鉄道として、ことに日本国内では数少ない762ミリの特殊狭軌(ナローゲージ)では最強力の電気機関車を完成させた技術「ローレル賞」の資格十分とされ、受賞した。
参考文献
黒部川のあゆみ-峡谷観光と電源開発・ 温泉開発-(宇奈月町教育委員会)
黒部奥山をひらく(関西電力(株))












