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黒部川第三発電所及び仙人谷ダムは、昭和11年9月に三工区(仙人谷~阿曽原の第一工区、阿曽原~下流の竪坑の第二工区、竪坑部分の第三工区)で工事が開始。すでに欅平まで到達していた軌道を仙人谷まで延ばすには、河川勾配が24分の1、標高差250mもあるためトロッコ電車では上がることができなかった。そこで欅平に200mの竪坑を掘り、この中に貨車もろとも載せることができる大型エレベーターと人用エレベーター(当時日本一)と、仙人谷までの軌道隧道を設けることになった。
高熱隧道への挑戦
阿曽原から仙人谷に向かって本坑を掘り進めた昭和12年、隧道掘削が進むにつれ岩盤温度が不気味に上昇し、秋口には阿曽原横坑の岩盤温度は65度に達していた。岩盤温度はその後も小刻みに上昇を続け予想以上の高熱となっていった。しかし当時は国家総動員法が発令され、日本全体が戦争遂行に突き進む時代。軍需資材生産の原動力として電力資源の開発は至上命令であり、その異常な高熱地帯は人海戦術で突破するより手が無かった。このトンネルを命がけで掘り進んでいた労働者の中には、当時日本に働きに来ていた朝鮮人の人々も含まれていた。高熱隧道では2時間で5円、一日に10円は稼いでいた。(当時東京における土木労働者及び人夫一世帯あたり月平均収入は20円78銭。)あまりの高熱のため、黒部川からホースで汲み上げた冷水を人夫にかけ、また岩盤にも水をかけ掘り進んだ。
昭和13年7月には、岩盤温度は摂氏100度を超える。そして昭和13年8月28日、ついに最初のダイナマイト暴発事故が発生。切端の岩盤にダイナマイトを装填中、岩盤の熱により爆発。8人の作業員が死亡、6人が重傷を負う。工事中止命令が出されるも、日本電力は会社の存亡がかかっていたこともあり、ダイナマイトに岩盤温度の高熱が伝わらないようにするため、エボナイト、ボール紙、割竹の管やファイバー製の鞘管を採用するなど、研究を重ね当時の最先端技術と工法が用いるようになった。一方で、岩盤温度は最高で165度にまで達し、残りダイ(発破時に爆発しなかったダイナマイト)の暴発事故も発生。また、当時は太平洋戦争直前でもあったため、若い人夫は出征させられ、作業員の高齢化も懸念された。工事は過酷困難を極めたものの、「隧道の貫通なくして工事の完成はありえない」と作業員を督励し、昼夜兼行で進められた結果、昭和14年8月軌道隧道が貫通。まれにみる難工事は完成した。
昭和13年7月には、岩盤温度は摂氏100度を超える。そして昭和13年8月28日、ついに最初のダイナマイト暴発事故が発生。切端の岩盤にダイナマイトを装填中、岩盤の熱により爆発。8人の作業員が死亡、6人が重傷を負う。工事中止命令が出されるも、日本電力は会社の存亡がかかっていたこともあり、ダイナマイトに岩盤温度の高熱が伝わらないようにするため、エボナイト、ボール紙、割竹の管やファイバー製の鞘管を採用するなど、研究を重ね当時の最先端技術と工法が用いるようになった。一方で、岩盤温度は最高で165度にまで達し、残りダイ(発破時に爆発しなかったダイナマイト)の暴発事故も発生。また、当時は太平洋戦争直前でもあったため、若い人夫は出征させられ、作業員の高齢化も懸念された。工事は過酷困難を極めたものの、「隧道の貫通なくして工事の完成はありえない」と作業員を督励し、昼夜兼行で進められた結果、昭和14年8月軌道隧道が貫通。まれにみる難工事は完成した。
泡雪崩の脅威
黒部川は上流にいくにしたがって気象条件は加速的に悪くなる。当時越冬作業は不可能と言われていた黒部峡谷奥地。二度目の越冬作業に入った昭和13年12月27日午前3時20分頃、黒三工事宿舎のあった志合谷に爆風を伴う大雪崩が襲来。就寝中の作業員もろとも4階建ての建物が1階部分のみを残し、黒部川の対岸約600mまで吹き飛ばす。死者84名(うち47名は遺体の確認ができなかった)を出す大惨事となる。
その後昭和15年1月8日未明にも阿曽原宿舎が泡雪崩によって倒壊し、死者28名を出す。志合谷での事故を教訓に、周辺には100年を超えるブナの大木が林立した大地に絶対の自信をもって設営した宿舎であったが、ブナ林もろとも吹き飛ばされてしまった。いずれの事故でも遭難救出の拠点基地となっていた宇奈月温泉は、被害者家族が押し寄せるなどで大混乱、騒然とした雰囲気となっていた。
その後昭和15年1月8日未明にも阿曽原宿舎が泡雪崩によって倒壊し、死者28名を出す。志合谷での事故を教訓に、周辺には100年を超えるブナの大木が林立した大地に絶対の自信をもって設営した宿舎であったが、ブナ林もろとも吹き飛ばされてしまった。いずれの事故でも遭難救出の拠点基地となっていた宇奈月温泉は、被害者家族が押し寄せるなどで大混乱、騒然とした雰囲気となっていた。
黒三完成
昭和15年6月第一工区の仙人谷~阿曽原間の水路隧道も貫通に至り、同年11月には黒部川第三発電所は待望の発電を開始した。この黒三の貴重な経験、すなわち高い標高位置の悪気象下の冬営作業、高熱トンネル工事、地下構造物の築造とその施工機械、施工設備などは、さらにその後の大規模な黒四工事の開発及び計画施工上、多くの指針を与えるものとなった。
尚、高熱隧道や雪崩事故の犠牲者の霊を慰めるため、宇奈月内山地区には朝鮮人犠牲者の墓があり、また宇奈月荷上りの薬師寺墓地内に萬霊之塔が建てられ、現在にいたるまでねんごろに弔われている。
尚、高熱隧道や雪崩事故の犠牲者の霊を慰めるため、宇奈月内山地区には朝鮮人犠牲者の墓があり、また宇奈月荷上りの薬師寺墓地内に萬霊之塔が建てられ、現在にいたるまでねんごろに弔われている。
参考文献
黒部川のあゆみ-峡谷観光と電源開発・ 温泉開発-(宇奈月町教育委員会)
黒部奥山をひらく(関西電力(株))












