◆夜高行燈の由来◆

 承応2年(1653年)当地方の鎮守の氏神として、伊勢神宮より御分霊を勧請した折りのこと。その御分霊の行列が加越の国境倶利伽羅峠のあたりにさしかかったころ、日が暮れてしまいました。この知らせを飛脚で知った村民が、各々手に道しるべの行燈を持ち、この行列を全村を挙げて奉迎したのがその起源であるといわれます。
 田植え(農繁期)も終わって、植え付けの完了を祝う報恩と慰安と虫除けの行事を恒例とする田のまつりは、広く当地方の永い民俗伝統であり、夜高行燈は田祭りの行事として、当砺波地方の方言「やすんごと」の日に、五穀豊穣・天下泰平・豊年満作を神社に参詣祈願し、全町域を挙げて盛賑を呈するというおめでたい伝習が、その由来であるといわれます。


蛍火が川面にうつる初夏のころ、毎年ここ津沢地区では、五穀豊穣を祈って、夜高まつりが催されます。
 夜高は、行燈、山車、釣りものから組み立てられ、大きいものは高さ5.5m・長さ12mあまりの雄大なものです。山車、釣りものは細い竹ひごを用いて、龍・御所車・花籠・牡丹・蝶・鶴などを形どり、和紙を貼ります。その上に蝋引きし、食紅で彩色して仕上げます。完成までおよそ一ヶ月。毎晩おそくまで全て共同手作業で行われます。


まつりの当日、宵闇が迫ると、家々の軒先毎につるした行燈に灯がともされ、それを合図に、まず豆しぼりの鉢巻に小若の法被を着た子供たちが武者絵の行燈を引いて次々通り過ぎて行きます。その後、諸肌脱いだ若衆たちが、夜高太鼓の響きと掛け声とともに大行燈を練り担いで行きます。段々に、引き子と見物客は一体となって、夜高まつりに陶酔していきます。

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