五箇山合掌 かくれ里物語とは

くらしそのものが世界遺産ともいえる貴重な昔の日本の姿

豊かな自然の中にひっそりたたずむ菅沼集落をはじめとして、
庄川の深い流れに沿うように合掌造りの家屋が点在する五箇山。
今も合掌造りの家屋に人が住み、助け合いながら守り続けている“結”の心と里の風景。
ここには、くらしそのものが世界遺産ともいえる貴重な昔の日本の姿が残っている。

かくれ里をつくりだした
五箇山の歴史を見て歩く

深い山間で険しい地形ながら、古くは縄文時代から人が住み、平家落人伝説が残る五箇山。長い歴史の中でこの地がかくれ里になったのは、金沢を拠点としていた前田氏がおさめる加賀藩領になっていた江戸時代といわれている。
その頃の五箇山は塩硝の一大産地となっていた。塩硝とは火薬の原料となる煙硝のこと。徳川幕府の手前その製造は秘密裡にされ、当時は床下で塩硝をつくり、土間で和紙を漉き、屋根裏は養蚕に利用するなどしていたという。五箇山が年貢米の代わりに納めていた塩硝は加賀藩の貴重な 財源。かくれ里として守られつつも、立派な合掌造りが建ち並ぶほど栄えたわけは、加賀藩の手厚い保護をうけていたからなのだ。その名残りが国の重要文化財にも指定されている岩瀬家や村上家、たいら郷土館などで見学できる。

日本が誇る“結”の心

山深く、冬は1階が雪に埋もれるほどの豪雪地帯である五箇山は、古来より人と人が助け合わなければ生きていけなかったに違いない。今でも大きな合掌造り家屋の屋根の葺き替えに、多くの人手が必要になるという。
そんな大作業のために、“結”と呼ばれる村人の相互扶助の仕組みができ、今も合掌集落を守り続けている。世界遺産五箇山のくらしは、こうした歴史と“結”の心に支えられているのだ。

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