

300年の歴史を超え、全国の皆さんから大きな信頼を得ている「越中富山の売薬」。時が流れても生き続ける売薬さんの「こころ」をそれにまつわるエピソードを交えながら紹介していきます。
戸時代、売薬さんは富山の農民や町人の次男、三男にとって憧れの職業でした。若者達は帳主(親方)に付き、連人(従業員)となり、奉公すれば、努力によってはいつの日か、自分が帳主になることができます。そのため、辛いことにもじっと耐えて奉公に励みました。
山の売薬さんのフロンティア精神はたいへん旺盛でした。明治22年、韓国へ渡ったのをはじめとし、中国、樺太、台湾、はたまたハワイまでと日本人がいるところであれば、日本国内にとどまらず遠く海外まで柳行李を背負って出かけて行きました。
正12年の関東大震災で、東京を回っていた売薬さんは、お得意さんや預けていたクスリを一瞬のうちに失いました。途方に暮れる売薬さんでしたが、クスリは災害の時こそ必要です。売薬さん達は真っ先に怪我をしたり家を失った東京のお得意さんの元に出向き、クスリを届けました。また、自分達も苦しいのに協力し寄付をしたりもしました。
正から昭和、凶作や不景気で貧困に飢える町や村が多くありました。このため、使った分のクスリ代金を払えない家がたくさんありました。それでも「お金のことは心配せず、病気になったらクスリを飲んで元気になりなさい」とクスリを置いて行った献身的な売薬さんも多くいたそうです。こうして利益よりも相手を気遣う売薬さんは大きな信頼を得ました。
第二次世界大戦で富山の街は焼け野原となり、家や財産を失ってしまった売薬さんも多くいました。そのよう逆境にめげず売薬さんは戦争前に回っていたお得意さんの家を丹念に回り、戦後わずかの間に、戦前と同じ規模にまで富山の薬業を復活させました。 |