あるとホッとする置き薬
売薬のルーツとしくみ

「富山といえば売薬さん」と言われるほど富山の家庭配置薬(置き薬)は全国にその名を知られています。しかし、そのルーツは富山に住む人でもなかなか答えることができません。
富山ではなぜ売薬が盛んだったか、そのルーツとしくみを見ていきましょう。



売薬のはじまり ルーツ

売薬銅像
売薬銅像
寛永16年に前田利次公を初代藩主として始まった富山県。売薬のはじまりは、二代目藩主、前田正甫公の時代までさかのぼります。
そのころ、富山藩は稲作中心の藩でしたが、神通川や常願寺川の氾濫で農地がしばしば荒れ、決して豊かな藩ではありませんでした。
そこで、商業で藩を豊かにしようとした正甫公が考えたのがクスリの販売。富山はそれまでもクスリに関わりがあり、正甫公自身もクスリに対する知識を持っていたということ、そしてなによりもクスリは持ち運びがしやすく、高く売れるので行商にはうってつけの商品だったからです。


先用後利 しくみ

懸場帳
懸場帳
正甫公は藩をあげて良薬の製造に努めるとともに、販売方法にも画期的な手法を取り入れました。それが、あらかじめクスリをお客さんの家に預けて行き、後から使った分だけのお金を集金していく「先用後利」という商法です。
この方法だと、お金のあるなしを気にせず、クスリが必要な時に飲めるため、現金収入の少なかった江戸時代の農村や漁村ではたいへん喜ばれました。
富山のクスリが良く効いたということはもちろんですが、この「先用後利」商法が非常に受たことで、販路はだんだんと全国に広がって行きました。


大名腹痛事件 エピソード


元禄3年、今から約300年前の江戸城での出来事です。岩代三春(現在の福島県)の殿様が突然、激しい腹痛に襲われました。そこに居あわせた前田正甫公はいつも肌身離さず持ってた越中のクスリ「反魂丹」を印籠から取りだし殿様に飲ませました。すると殿様の痛みはたちどころ治まっていきました。
そばにいた諸国の大名たちは反魂丹の効き目に驚き、「ぜひ、私の国でも富山のクスリを広めて欲しい」と正甫公にお願いしたそうです。
こうして、富山のクスリはよく効くと噂になり、将軍家にも反魂丹を献上することとなりました。